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庶民の味として親しまれてきたもんじゃやお好み焼きの歴史

庶民の味として親しまれてきたもんじゃやお好み焼きの歴史

庶民の味として親しまれてきたもんじゃやお好み焼きの歴史

 

■もんじゃ焼きの歴史

もんじゃ焼きは今では専門店ができ、大人がお酒を飲みながら楽しむおつまみ的な存在にもなっています。
ですが、もんじゃはそもそもは子どもたちのおやつでした。
もんじゃで有名な月島で生み出されたとされ、江戸時代の末期頃、駄菓子屋で小麦粉を水で溶いて焼いたものを子どもたちに提供したのが始まりとされています。
その後、戦争が起こり、食べ物はおろか、習字道具や遊び道具も満足に手に入らない時代に、子どもたちが駄菓子屋に集まり、小麦粉を水で溶いた生地を鉄板に垂らす際に、文字を描くなどしていました。
文字の練習をしていたことから、いつしか文字焼きと呼ばれるようになり、それが広まりにつれ、もんじゃという名前になったと言われています。
当時のもんじゃは、水で溶いた小麦粉を醤油やシロップなどで味を付けたシンプルなものでしたが、戦後の経済成長に伴い、キャベツやコーンや揚げ玉などさまざまな具が混ぜられるようになりました。
少子化などの影響で駄菓子屋が減少していく中、もんじゃ発祥の地である月島でもんじゃを残そうという動きが起こり、専門店が誕生し、現在に至ります。

 

■お好み焼きの歴史

お好み焼きの歴史は、大阪城を築いた秀吉に寵愛された千利休と言われています。
茶会で供された、小麦粉を水で溶いて薄く焼き、味噌などを包んだ茶菓子が、お好み焼きのルーツとされているのです。
江戸時代末期には庶民の駄菓子として広まっていました。
さらに明治時代になって洋風の食文化が入ってくると、キャベツやソースを使った洋食焼が誕生します。
食糧が豊富になるにつれ、豚肉などさまざまな具材が加えられるようになり、今でいうお好み焼きの形が確立されていきました。
お好み焼きが大阪の名物として全国的に有名になったのは、昭和30年代の終わりから40年代にかけてと言われます。

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